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喜左衛門井戸

2012/05/16 06:00

 

 先日のエントリ「史上最高額の絵画」でポール・セザンヌの「カード遊びをする人々」が2億5000万ドル(200億円)以上で取引されていたと書きました。有名画家の絵画とはいえ所詮は絵、ジェット旅客機(400席規模)1機と同等の価値があるとは庶民には思えませんが、億万長者にとってはそうではないのでしょう。一説によると、カタール王室の総資産は380億ドル位らしいですから、総資産の1%以下を1枚の絵画に換えたことになります。総資産1000万円の人が7万円の絵を買う感覚と同じなのかもしれません。まあ、金持ちの気持ちは分かりませんが。
 カタール王室は投資の一環なのか、セザンヌコレクターなのか、購入の動機は測りかねますが、自分の命より大事とは思っていないでしょう。しかし、過去には自分の命より美術品を大切にした人もいました。
 
 江戸時代初期の慶長の頃、大阪に竹田喜左衛門という裕福な町人が名物の茶碗を所有していました。喜左衛門は茶の湯道楽が過ぎたのか、身代を潰し、一家離散の後、京都島原の遊女屋の下働きに身をやつしてしまいます。没落したことにより、収集した茶道具は手放しましたが、唯一この茶碗だけは手放しませんでした。売れば、大金が手に入るのですが、喜左衛門はこれを袋に入れて首に掛け、肌身離しませんでした。やがて、体中に腫物ができ、この茶碗を抱きしめながら亡くなります。(没落した塘氏の逸話が喜左衛門に置き換えられたとする説もあります)。
 この茶碗は喜左衛門の没後、本多能登守忠義に渡り、1634年に本多氏から泉南の中村宗雪に譲られます。1751年には塘氏の所蔵となりました。安永年間(1772~81年)には松江藩7代藩主の松平治郷(号は不昧)が京都の道具商の山越利兵衛から家臣たちの反対を押し切って550両で購入しました。家臣が反対した理由は「この茶碗を手に入れた者には腫物に罹る」との噂があったためです。正室のシズ(靑に彡)楽院は使わぬよう嘆願し、不昧は眺めるだけでしたが、噂どおり、不昧は腫物に取り付かれます。正室は手放すように勧めましたが不昧は惜しみ、息子の月潭に譲るに止めました。すると、月潭が腫物に罹ります。ここに至り、正室はこの茶碗を京都大徳寺孤篷庵に寄進させました(1822年)。それから、現在に至るまで孤篷庵が所蔵しています。
 
 この茶碗の名称は「井戸茶碗〈銘喜左衛門〉」ですが、「喜左衛門井戸」、「本多井戸」とも呼ばれます。大井戸茶碗の代表作とされ、1951年に国宝に指定されています。ちなみに、8つある国宝の茶碗の内の1つで、井戸茶碗ではこれだけです。
◆「井戸茶碗〈銘喜左衛門〉」
製作国 :朝鮮
製作年代:李朝
寸法  :高さ9.8cm 口径15.4cm 底径5.3cm
形状  :やや開き気味に立ち上がった形姿で、内外にかかった釉薬は枇杷色をした長石と土灰の混合釉。高台から高台際にかけてカイラギ(梅花皮:釉薬の縮れのこと)がある。胴の一部に漆繕いが見られる。見込みが深く、底部が薄い。
 
 井戸茶碗とは李朝中期に朝鮮で焼かれた高麗茶碗の一種で名物手(大井戸)、小井戸、小貫入、青井戸などに分類されます。中でも、大井戸は特に重視されました。「井戸」の名の由来は秀吉の家臣、井戸覚弘が朝鮮から持ち帰ったとも、単純に井戸のように深いからだとも言われ、定説は無いようです。
 「一井戸、二楽、三唐津」と言われるように、井戸茶碗は茶碗の中でも別格とされていました。本来、茶の湯用として作られたものではなく(そもそも朝鮮では茶道の風習が無かった)、朝鮮で日常雑器として使われていた物を桃山時代の茶人が讃美し、抹茶茶碗に見立てて珍重したそうです。
 
 喜左衛門井戸は古来より高麗茶碗の最高峰と評価されているそうです。何がそんなに良いとされているのか調べていると、次のような文章がよくヒットしました。
 「慶長の頃大阪の町人竹田喜左衛門といふ者所持しが故に名あり。又本多能登守忠義に傳りて、本多井戸とも云ふ。
大正名器鑑より
 高麗茶碗の良さというか、味わいというものは井戸茶碗に尽きるといわれています。ということは、茶人たちが高麗茶碗に求めた美しさは、井戸茶碗のような作振りのもの、即ち飾り気のない素朴な姿、全く華美でない渋い落ち着きのある釉色、そして一つの姿として茶碗を観るとき、茫洋とした大きさと、捉えどころのない風格が感じられる茶碗ということになります。それは正に大井戸茶碗の姿であり、「喜左衛門」はその全てを備えた茶碗といえます。
 伸び伸びとしたこだわりのない姿、中央が竹の節のような高台がしっかりと受けているのが印象的ですが、その伸び伸びとしたロクロ目は、井戸茶碗の最大の特色であり、竹節状に削り出された高台も、節立っているがために、全体の姿を引き締まったものにしていることから、やはり大きな見所の一つに挙げられています。釉は灰褐色のいわゆる井戸の枇杷色釉と呼ばれる釉薬が厚く掛かり、高台廻りは梅華皮(かいらぎ)状に縮れています。このかいらぎはそれこそ見方によっては不潔な感じをもたせますが、全体の渋く静かな色感の中に、唯一つの激しい景色であるといえ、茶人はそうした変化に目を着けたのでしょう。」
 それで、大正名器鑑(大正から昭和にかけて茶道振興に尽力した茶人・高橋義雄<箒庵>による茶入・茶碗の図録)を国立国会図書館デジタル化資料で読んでみると、「慶長の頃~本多井戸とも云ふ。」の部分は確かにありました。しかし、「高麗茶碗の良さというか~目を着けたのでしょう。」の部分はありませんでした。この部分の原典となる書籍があるのでしょうか。それとも、ネット上に誰かが書いた文章がコピーされて広まったのでしょうか。
 閑話休題。喜左衛門井戸の良さは、その素朴さにより侘び茶を具現化していると考えられているところにあるようです。作ろうと思って作られた茶碗ではないために作者の作意を感じさせず、「無作為の美」があるというのです(このような評価は柳宗悦<朝鮮美術にも造詣が深い昭和の思想家>が唱え、世に定着したようです)。つまり、人為的なものを排除した、「あるがままの自然が一番美しい」とするということなのでしょう。喜左衛門井戸を良しとする美意識の根底には無為自然が良いとする老荘思想があるのかもしれませんね。
 
 喜左衛門井戸は一般に「何がいいのかサッパリ判らない」と呆れさせる物の代表格なんだそうです。確かに、喜左衛門井戸の写真を見たら、年月の重みのようなものは感じますが、美しいとは感じません。国宝の肩書があるから一目置きますが、もしなければ、歪んで釉薬もまともに掛かっていない、古ぼけた茶碗にしか見えません。「素人が作った失敗作」と言われれば、納得してしまいそうです。多くの人もそう感じるのではないでしょうか。
 仮に、この茶碗が民家の納屋あたりに捨て置かれていたとしても、現代の茶人は最高の茶碗と評価するのでしょうか。
 茶の湯の心得が無い者には、古の高名な茶人が高く評価したので、後代の茶人達はこれを美しい物だと思い込もうとして理屈をこねているように思えるのです。しかしながら、美意識というのは多分に後天的なものでしょうから、それはそれで良いのかもしれません。
 それでも、「無作為の美」という解釈には違和感を覚えます。喜左衛門井戸の作者には上手に作ろうとか、美しい物を作ろうとかという気概は無かったのかもしれません。けれども「茶碗を作る」という明確な意思がありました。この「作る」という意思を否定できないため、「無作為の美」は成り立たないと思えるのです。「無作為の美」が至高の美だとするなら、雨垂れでえぐれて茶碗の形になった自然石が最高の茶碗ということになりませんか。
 だからといって、喜左衛門井戸の価値を否定するつもりはありません。美しいかどうかは別にして、喜左衛門井戸には歴史的価値があると思うからです。それが国宝に値するものなのかは門外漢には分かる筈もありませんが、数世紀も前から歴史に登場し、珍重され続けられた事だけでも凄いことではありませんか。

 

 ネットで喜左衛門井戸のことを調べていたら、女子高生がこの茶碗でお茶漬けを食べたことがあるとのエピソードを見付けました。このエピソードについて更にリサーチすると、どうやら、陶磁器修復師の甲斐美都里さんが著書の「古今東西―陶磁器の修理うけおいます」の中で、高校生の頃に大徳寺の僧侶と顔なじみになり、国宝の茶碗でお茶漬けをご馳走になったと告白しているようなのです。
 立命館大学校友会報「りつめい」No.210にも甲斐美都里さんが自ら「大徳寺を庭のようにして過ごし、とある塔頭では国宝の茶碗で茶漬けを食べたこともある。初めて見て触った金継ぎは、この茶碗のものだった。」と書いています。大徳寺が関係する国宝の茶碗は喜左衛門井戸と燿変天目茶碗(竜光院所蔵)の二つ。繕いがあるのは喜左衛門井戸の方ですから、「喜左衛門井戸でお茶漬け」というのは本当のことらしいです。
 甲斐美都里さんは1975年に立命館大学を卒業していますから、高校生の頃は70年前後でしょうか。今から40年程前に国宝の茶碗でお茶漬けを食べた人がいたのですね。「茶道具は使ってこそ生きる」と聞いたことがありますが、お茶漬けに使うとは何と大胆な。喜左衛門井戸には腫物の祟りがあると言い伝えられていましたが、甲斐さんは腫れなかったのでしょうか。もしかしたら、胸が腫れて巨乳になったなんていうことは・・・ないか。余計なことを書きました。

//////////////////////////
国宝・重要文化財(美術品)
http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=201&item_id=312
喜左衛門井戸
http://www.bijyutsu.jp/dictionary/%E8%8C%B6%E9%81%93%E7%94%A8%E8%AA%9E/%E5%96%9C%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E4%BA%95%E6%88%B8/
古唐津及び唐津焼並びに陶芸に関する用語集 か行
http://kokaratu.com/kokaratu/kokaratu-yougo/kokaratu-yougo02-ka01.html
大正名器鑑. 第7編
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1014994/9
古今東西―陶磁器の修理うけおいます
http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E6%9D%B1%E8%A5%BF%E2%80%95%E9%99%B6%E7%A3%81%E5%99%A8%E3%81%AE%E4%BF%AE%E7%90%86%E3%81%86%E3%81%91%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99-%E7%94%B2%E6%96%90-%E7%BE%8E%E9%83%BD%E9%87%8C/dp/412003254X/ref=ntt_at_ep_dpt_1
「古今東西―陶磁器の修理うけおいます」 甲斐美都里
http://www.min6.com/2004/02/22124350.php
校友会報「りつめい」No.210
http://alumni.ritsumei.jp/report/pdf/210.pdf
ユスタ・ルフィナ
http://homepage2.nifty.com/justa-rufina/index.htm
 

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猫ひろしの例は他の帰化選手の場合と本質的に異なる ニュース記事に関連したブログ

2012/05/09 23:40

 

 国際陸上競技連盟により参加資格を満たしていないと判断され、カンボジア代表に選ばれていた猫ひろし氏のロンドンオリンピック出場は断たれた。国籍変更後1年間は国際大会に出場できないとの規則に違反していると判断され、特例措置も認められなかった模様だ。良識的な判断だと思う。
 カンボジア・オリンピック委員会は「早急に人選をし、別の選手を派遣する」との意向を示している。猫ひろし氏の記録より6分53秒速い記録を持つカンボジア最高の長距離ランナーのヘム・ブンティン氏はカンボジア五輪委員会と対立し、代表チームから外されているが、実力を基準にして選手選考が行われることが望まれる。

 

 猫ひろし氏がカンボジア代表に選出された後、ネット上を中心に強い批判の声が上がった。これに対して、陸上選手の為末大氏は世界的にみれば、国籍変更してオリンピックの出場する選手は大勢いるとコメントしていた。
 確かに、裕福な中東の国がアフリカ出身の有望選手を買い集めてメダルを取得しようとする行為は実際にある。国威発揚目的ではなくとも、オリンピック出場のために選手自ら国籍変更する場合もある。例えば、アメリカ国籍を取得してトリノオリンピックに出場した井上怜奈選手やバンクーバーオリンピックにロシア代表として初出場した川口悠子選手がいる。彼女達は猫ひろし氏と同じく日本国籍を放棄して、他国の代表になった。
 しかし、これら帰化選手と猫ひろし氏は本質的に異なる。帰化選手は参加標準記録を突破して自らオリンピック出場枠を取得したりするのに対し、猫ひろし氏は参加標準記録を突破出来ずに特例枠で出場しようとしていた。つまり、帰化選手はオリンピックで戦うに相応しい実力を備えているが、猫ひろし氏は相応の実力が無いのである。ここが決定的に違う点だ。
 クーベルタン男爵は「オリンピックで重要なことは、勝つことではなく参加することである」と言ったが、猫ひろし氏の例を認めるとオリンピックを舞台にした不正を助長しかねない。IOCにとっては「メダルをカネで買う」行為より「出場枠をカネで買う」行為の方が問題は大きいのではないか。
 
 猫ひろし氏は2010年12月にカンボジアでのハーフマラソンで3位になったことが評価され、同国政府などから国籍を変更した上での五輪挑戦の打診を受けたため、カンボジア国籍を取得したとしているが、国籍取得方法を明らかにしていない。カンボジアの国籍を取得するには以下の条件がある。
********************
<主な条件>
1)同国に7年以上継続して居住し、クメール語、歴史を理解していること
2)カンボジア国籍を持つ者と3年以上婚姻関係がある
<その他>
3)カンボジアの産業に約2500万円の投資、もしくは同国に約2000万円を現金で寄付した場合
4)同国に特別な功績や利益をもたらすとみなされた場合
 上記3、4に関しては1と2は免除される。
********************
 猫ひろし氏の場合はたぶん3の条件の中の「約2000万円を現金で寄付した場合」を満たして、国籍を取得したのだろう。それが一番、確実で無難だ。
 

 そもそも、第15回アンコールワット国際ハーフマラソンで3位になったくらいでカンボジア五輪委員会が国籍を変更して同国のオリンピック代表になってくれとお願いするものだろうか。このハーフマラソンのタイムは1時間15分59秒で、この年の東京マラソンのタイムは2時間55分45秒だった。一般人としてなら速いかもしれないが、競技者としては遅い。カンボジアが帰化選手を使ってオリンピックマラソンの上位を狙うなら、全くの力不足だ。カンボジア五輪委員会が態々、猫ひろし氏を代表にする意味は無い。
 もっと速いマラソン選手がいくらでもいるにも拘らず、何故、猫ひろし氏に白羽の矢を立てたのか。真相はカンボジア側が頼んだのではなく、猫ひろし氏側がカンボジアに働きかけたのであろう。あまり売れていない一芸人に過ぎない猫ひろし氏が人脈もありそうにも無いカンボジアに自ら売り込んだとは思えなく、多額の金銭も動いたと推測されることからも考えづらい。よって、影でプロデュースしていた者達がいると考えるのが順当だろう。猫ひろし氏をオリンピック選手に仕立てて、一儲けを企んでいたのだろう。
 不出場が決定し、プロジェクトは白紙になった。担いでいた者達はこれから如何するのであろうか。猫ひろし氏は今後如何するのであろうか。国籍をカンボジアから日本に戻し、芸人ランナーとなるのか、それとも、カンボジア国籍ままでリオデジャネイロオリンピックを目指すのか、どちらにしても自分独りでは決められまい。関係者と相談して今後の活動方針を決めることになると思う。
 もし、あくまでオリンピック出場に固執するなら、2年後のソチオリンピックを目指してはいかがか。冬季オリンピックならカンボジアの中に競合する選手はいないだろうから、揉めないはずだ。持久力を活かして、クロスカントリーは如何だろうか。

/////////////////
 国籍変更時、「猫ひろし改めチュマールひろしでした。ミャー。」と言っていたので、カンボジア風に改名したのかと思いきや、本名は瀧﨑邦明のままだったのね。

/////////////////
猫さんの五輪、幻に…国際陸連が出場認めず
http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2012/news/track/marathon/1/20120508-OYT1T01624.htm?from=top
猫ピンチ!ブンティンが抜いた/マラソン
http://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/f-sp-tp0-20120415-934708.html
コメディアンに奪われたカンボジア人選手の五輪の夢
http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/athletics/2876127/8895424?utm_source=google&utm_medium=news&utm_campaign=recommend-rss
【激怒】猫ひろしの「カンボジア代表として全力で走る」発言に怒り / 日本国民「走るな出るな帰ってくるな日本の恥」「最低のクソやろう」
http://rocketnews24.com/2012/05/08/210232/
英国版“猫ひろし論争” 五輪代表1割が海外出身者
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120425/erp12042521320004-n1.htm
「世界では国籍変更ごろごろ」 為末大の猫ひろし問題解説が論議
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20120416/JCast_129125.html
猫ひろし、中東、英国……国籍変更で問われる問題点
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/athletic/text/201204110002-spnavi.html
 

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史上最高額の絵画 ニュース記事に関連したブログ

2012/05/04 06:00

 

 5月2日、ニューヨークのサザビーズでムンクの代表作「叫び」がオークションにかけられ、1億1992万2500ドルで落札された。競売にかけられた絵は4枚存在している「叫び」のうち、ノルウェーの実業家が個人で所有していたもの。

「叫び」
 
 テレビや新聞の多くのニュースではこれまでの美術品の最高額(2年前に1億650万ドルで落札)だったピカソ作「緑の葉と裸婦」を抜き、史上最高額になったと紹介している。
 
「緑の葉と裸婦」

 

 本当に史上最高額なのだろうか。実は先月、セザンヌの「カード遊びをする人々」が絵画の中で最も高価な作品になったとのニュースがあったのだ。カタール王室が2011年に2億5000万ドル以上で買っていたそうだ。
 それで、「世界で最も高価な絵画」で検索してみると、ムンクの「叫び」は5位とのことだった。史上最高額というのは取引額が過去最高ということではなく、ポロックの「No.5」が1億4000万ドルで落札されていることから、「サザビーズ競売で落札された美術品の中では史上最高額」ということではなかろうか。誤報の原因はサザビーズの説明が間違っていたのか、サザビーズの説明をよく理解していなかったのか、分からないが、よく確かめずに安易に報道してしまったことが一番の原因だろう。
 ちなみに、ベスト10は次の通り。
 1位:「カード遊びをする人々」ポール・セザンヌ 2億5000万ドル以上
 2位:「No.5」ジャクソン・ポロック 1億4000万ドル
 3位:「Woman Ⅲ」ウィレム・デ・クーニング 1億3750万ドル
 4位:「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像Ⅰ」グスタフ・クリムト 1億3500万ドル
 5位:「叫び」エドバルト・ムンク 1億1992万2500ドル
 6位:「緑の葉と裸婦」パブロ・ピカソ 1億650万ドル
 7位:「パイプを持つ少年」パブロ・ピカソ 1億420万ドル
 8位:「8人のエルビス」アンディ・ウォーホル 1億ドル
 9位:「ドラ・マールの肖像」パブロ・ピカソ 9520万ドル
10位:「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像Ⅱ」グスタフ・クリムト 8790万ドル
※取引額はおおよその金額。
 
 1位の「カード遊びをする人々」は円換算(1ドル=80円)すると200億円以上、10位の「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像Ⅱ」でも70億円以上になる。
 20年以上前(バブル絶頂期)、大昭和製紙名誉会長だった齊藤了英氏がゴッホの「医師ガシェの肖像」を当時の史上最高落札額の8250万ドル(当時のレートで約124億5000万円)で競り落とした時は高額過ぎるなどと色々と言われたが、更に絵画の価格が高騰していたようだ。
 
 最高額の「カード遊びをする人々」には同じ名称の絵が5枚ある。カタール王室が購入したのはギリシャの富豪のジョージ・エンリコスが所蔵していた物だ。他の「カード遊びをする人々」はバーンズ財団、メトロポリタン美術館、オルセー美術館、コートールド美術館1枚づつ所蔵している。
 
バーンズ財団所蔵「カード遊びをする人々」
 

 
メトロポリタン美術館所蔵「カード遊びをする人々」
 

 
オルセー美術館所蔵「カード遊びをする人々」
 

 
コートールド美術館所蔵「カード遊びをする人々」
 

 
カタール王室所蔵「カード遊びをする人々」
 
 ムンクの「叫び」がオークションにかけられた同日、クリスティーズではこの「カード遊びをする人々」の5点の習作(水彩画)が競売にかけられ、1912万2500ドル(約15億3千万円)で落札された。本作の約8%の価格だ。1点当たりにすると約382万ドルで本作の1.5%になる。本作を描く為に描かれた習作に付けられる価格として妥当なものなのだろうか。本来なら用が済めば必要なくなり、捨てられていてもおかしくない物だ。美術品としての価値は低い。ポール・セザンヌの名が無ければ、誰も買わないだろう。
 
「カード遊びをする人々」習作
 
 セザンヌの習作を15億円で購入する人がいるとおもえば、片や尖閣諸島を同程度の金額で購入しようとしている知事がいる。描きかけの絵5枚と尖閣の3島が同じ価値とは。世の中の不合理を感じる。
 
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ムンクの「叫び」、史上最高の96億円で落札 ニューヨーク
http://www.cnn.co.jp/fringe/30006459.html
ムンクの「叫び」、最高額の96億円で落札
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120503-OYT1T00317.htm
ムンク「叫び」に史上最高額=米
http://jiji.com/jc/p?id=20120503124808-2514753
セザンヌ「カード遊びをする人たち」 世界で最も高価な絵画に
http://japanese.ruvr.ru/2012/02/04/65316336.html
世界で最も高額な絵画ベスト20
http://matome.naver.jp/odai/2133510061909623301
2008年度版世界で最も高価な絵画トップ15
http://gigazine.net/news/20081126_15_most_expensive_paintings/
The 15 Most Expensive Paintings in the World
http://stylecrave.com/2008-11-24/the-15-most-expensive-paintings-in-the-world/
これぞ芸術…史上最高額で取引された絵画ベスト20
http://labaq.com/archives/51741274.html
「都が購入」尖閣諸島の値段 3億から350億まで試算が乱れ飛ぶ
http://www.j-cast.com/2012/04/20129784.html?p=all

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北海道の国宝、中空土偶 ニュース記事に関連したブログ

2012/05/03 06:06

 

 天皇、皇后両陛下がご覧になった屏風絵。
 
燕子花図屏風
 

 
八橋図屏風
 
 燕子花図屏風は国宝に指定されていて、誰でも一度は美術の教科書などで見たことがあると思います。
 
 これを機会に国宝について調べてみたら、国宝は1082件(美術工芸品886件、建造物216件)あることが分かりました。意外と多く存在しているのですね。
 こんなに多数あるのに、北海道には1件しかありません。国宝とは「美術、工芸、書跡・典籍、考古資料、歴史資料、建造物など国が指定する重要文化財のうち,とくに製作がすぐれ、学術的価値が高いもの、かけがえがなく歴史上きわめて意義が深いもの」だそうですから、歴史のメインストリームから外れていた北海道に国宝が少ないのは当然かもしれません。
 それでも、重要文化財なら時計台を初め、数十件あったのですが、5年前まで国宝はありませんでした。しかしながら、平成19年、ようやく1件国宝が誕生しました。その国宝は中空土偶「茅空(カックウ、中空土偶の愛称)」です。
 
中空土偶
 
 この中空土偶は縄文時代(約3300年前)に制作されたもので、昭和50年に函館市(当時は南茅部町)で偶然発見されました。穏やかな表情、美しいボディライン、精巧な幾何学模様などから、「北の縄文ビーナス」とも呼ばれています。特徴は大きさ、文様構成、技巧の3点だそうです。
●大きさ
 中空土偶としては国内最大級(高さ41.5cm、幅20.1cm、重さ1745g)で、頭の飾りと両腕が失われていますが、ほぼ完全な形。
●文様構成
 三角、ひし形、丸など様々な細かな文様が組み合わされていて、当時の芸術性の高さを表しています。
●技巧
 空洞の土偶制作は難しい上、薄作り。
 
 実はこの中空土偶、Web上で話題になったハコダテ観光ガイドCM「イカール星人」に「謎のエネルギー体 中空土偶」として登場しています。 
 

 

 


 他にも下記のハコダテ観光ガイドには「イカール星人」の動画がありますので、ご興味のある方はどうぞ。

///////////
文化財指定等の件数
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shoukai/shitei.html
あなたのテーマでディープな函館 「縄文」
http://www.hakobura.jp/deep/2011/06/101.html
ハコダテ観光ガイド MOVIES
http://www.ika-r.com/movie/index.html
 

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亀岡事故でのマスコミの無分別な振る舞いに医師が激怒 ニュース記事に関連したブログ

2012/04/27 07:00

 

 4月23日に無免許少年が起こした事故(4月25日エントリの事故)で、被害者の小谷真緒(7)さんが但馬救命救急センターに搬送されたところ、マスコミが殺到し、病院側と被害者家族に迷惑が掛ったと但馬救命救急センターのブログが明かしている。ブログは当日の夜にセンター長が書いており、タイトルの「マスコミの人間に心はあるのか」からも分かるとおり、マスコミに対する怒りに満ちていて、我慢がならなかった様子がうかがえる。
 
 最初は以上のように読売、毎日、朝日の3社の具体名が入っていたが、後で以下のように「マスコミ各社」と変更され、追記が加わった。
 
 

 変更された経緯を取材したJ-CASTニュースによると、新聞社から事実と異なると抗議を受けてセンター長自らが訂正したとの事。個人名を出してもよいとも書かれていたのに、訂正したのはどの様な抗議を受けたためであろうか。
 3社の言い分と訂正前のブログの主張を箇条書きで書き出してみる。
◇訂正前のブログ
●院内や病院敷地内に勝手に入り込むマスコミには取材の許可を出さない。
●取材拒否の旨を伝えている。
●読売、毎日、朝日新聞などの各社の記者たちが霊安室前で帰宅する遺族を撮影。
◇朝日新聞
●女児が救命救急処置中だったので病院内で静かに待機。
●駆けつけた女児の両親にも声はかけなかった。
●センター側から退去を求められ、立ち退く。
●女児死亡時にセンターを通じて両親に取材の認否を確認。
●両親が拒否したため、取材をあきらめた。
●両親が病院から帰る2時間半前には、すでにセンターにはいなかった。
◇読売新聞
●病院の許可を受けて、病院幹部立ち会いのもと待機していた。
◇毎日新聞
●病院側責任者の立ち会いの下、取材。
●指示に従って取材。
 
 3社の言い分からブログの3つの主張に沿って、分かりやすいように整理する。
◇院内や病院敷地内に入り込む許可はあったか
朝日:許可を受けていない。
読売:病院の許可有り。
毎日:病院の許可有り。
◇病院での取材は拒否されていたか
朝日:拒否されていた。
読売:不明。
毎日:拒否されていない。
◇霊安室前で撮影したか
朝日:撮影していない。
読売:不明。
毎日:不明。あったとしても、許可されていた。

 全ての記者が病院側から同じ対応を受けていた訳ではないようだ。但馬救命救急センターの財務課では「ブログの内容と病院が把握している事実関係とは違う点がある」としているため、センター長が取材認否の対応をしていたにも拘わらず、病院幹部が一部の記者に対し、取材を認めていた可能性が高い。
 
 「霊安室だけではなく,処置室前,敷地内含めての記載内容です」と追記されていることから察するに、霊安室前では撮影していないと抗議を受けたのであろう。翌日のエントリ(4月24日「明日は」)にも「表現の仕方で朝日,読売,毎日新聞が撮影していたという誤解を招いたことは改めて訂正をいたします」と書いてある。3社については霊安室前での撮影は無かったのかもしれない。
 
 訂正後、毎日は「ブログの弊社に関する部分は24日午後に書き換えられており、但馬救命救急センターも誤解の記述だったと認識したものであると理解しております」とコメントし、これ以上の対応を求めない様子だが、朝日と読売は病院に更なる対応を求めている。読売はどの様な要求をしているか不明だが、朝日は「記者がその場にいなかったと、ブログをきちんと訂正してほしいと思っています。センター側には、名誉を回復するように申し入れています」と要求をしている。
 朝日の要求は正当なのだろうか。朝日の言い分をまとめると、「無許可で侵入したが遺族には取材していなし、霊安室前でも撮影していない。ただし、取材活動のために病院側に働きかけはしていた。」ということだ。これで、朝日の記者の名誉を回復をしろと要求するのはおこがましい。それに、「記者がその場にいなかった」と訂正して欲しいというのは、「朝日の記者が病院にいなく、無関係」と思わせたいのであろう。卑しさが透けて見える。
 救命救急センターの財務課は訂正要求に対して「内部で調整中ですので、何とも申し上げられません」と答えている。もし、朝日が執拗に訂正要求するのであれば、「朝日の記者は霊安室前では取材していないが、無許可で病院内に侵入していたため退去させるも、己の取材のために多忙な病院側を煩わせた。」と正確に書いてやればいい。
 
 センター長は翌日のエントリに「院内,処置室前,敷地内を含めた注意喚起が聞き入れられないほどの取材や,他マスコミ各社の霊安室前の無断撮影があったことは事実であり,ルールを無視した過剰な取材に対する抗議の気持ちは変わりありません」とも書いている。多くの記者が功名心にはやって注意を無視し、病院の仕事を妨げたのは事実だろう。「マスコミの人間の心は腐っているか」と書かれ、大きな話題になったに拘わらず、読売、毎日、朝日の3紙のサイトにはマスコミが病院で騒動を起こしたという記事は見当たらない。間違っていると抗議する前に己の行動を反省したらいかがか。心が腐っているから自省など出来ないか。

////////////////////////////////
TECCMC's BLOG(但馬救命救急センターのブログ)
4月23日 マスコミの人間に心はあるのか
http://teccmc.blogspot.jp/2012/04/423.html
4月24日 明日は
http://teccmc.blogspot.jp/2012/04/424.html

 

亀岡事故、行き過ぎた取材だったのか 病院「心が腐っている」vs新聞社「事実誤認、訂正を」
http://www.j-cast.com/2012/04/24130185.html?p=all

 

京都18歳少年の無免許運転事故 搬送先救急センター「マスコミが霊安室前にカメラをかまえ家族を無断で撮影」と訴える
http://getnews.jp/archives/196709
京都18歳少年の無免許運転事故 搬送先救急センターのコメントに対してマスコミ各社が「事実誤認」と反論
http://getnews.jp/archives/197315

 

京都・亀岡の車暴走:言葉失う住民 「何とか助かって」
http://mainichi.jp/area/news/20120423ddh041040004000c3.html
◇搬送された方々(敬称略)
 大阪大付属病院 小学3年、横山奈緒(8)=重体
 公立豊岡病院 同2年、小谷真緒(7)=重体
 京都第一赤十字病院 同1年、西田琉輝(るき)(6)=重体▽松村幸姫(ゆきひ)(26)=重傷▽同5年、寺口結菜(ゆいな)(10)=重傷▽同3年、寺口歩璃(あゆり)(8)=軽傷
 公立南丹病院 同1年、吉村和月(かづき)(6)=重傷
 京都第二赤十字病院 同1年、松村蒼愛(そあら)(6)=重傷
 洛西シミズ病院 同3年、吉村花音(かのん)(8)=軽傷▽同3年、小谷愛奈(えな)(8)=軽傷
 

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無免許少年、結果の重大性と犯行の悪質性 ニュース記事に関連したブログ

2012/04/25 07:00

 

 4月22日の午後から23日の午前にかけて、無免許少年の運転による事件が立て続けに起きた。二つの事件の概要は次の通り。
 
◆札幌の事件
発生日時 :4月22日午後4時25分頃
発生場所 :北海道札幌市
加害者  :アルバイトの少年(17)無免許
加害者前歴:不明
同乗者  :女性
被害者  :高橋幸希巡査長(25)全身打撲で10日間の軽傷
容疑   :殺人未遂と道交法違反(信号無視)
車種   :トヨタセルシオ(所有者不明)
事件の状況:信号無視をした車を警察官が職務質問し、エンジンキーを抜こうとしたら、急発進。ドアにつかまった警察官を引きずったまま約400メートル走行し、電柱に衝突。警察官が振り落とされ、怪我。事故を起こしながらも車は逃走、15分後に近くの路上で発見される。
逮捕状況 :2日後に逮捕
供述   :「無免許と信号無視で捕まるのが嫌だった」
 
◆亀岡の事件
発生日時 :4月23日午後4時25分頃
発生場所 :京都府亀岡市
加害者  :無職少年(18)無免許
加害者前歴:2年前にバイクの無免許運転
同乗者  :大学生の少年(18)と専門学校生の少年(18)、共に無免許
被害者  :小谷真緒さん(7)と、松村幸姫さん(26)が死亡。他に児童2名が重体、児童3名が重傷。児童3名が軽傷。
容疑   :無職少年が自動車運転過失致死傷と道交法違反(無免許運転)。大学生と専門学校生が道交法違反(無免許運転)ほう助
車種   :スズキワゴンR(所有者は別の友人の少年)
事件の状況:22日夜から京都、亀岡付近を一睡もせずにドライブ(供述)。集団登校中の小学生ら10人の列に後ろから突っ込み、多数を跳ね飛ばす。
逮捕状況 :現行犯逮捕
供述   :「居眠り運転をしていた」「事故を起こすまで一睡もしていない」

 
 亀岡の事件は起こした結果は重大だが、自動車運転過失致死罪(上限懲役7年)より刑の重い危険運転致死罪(上限懲役20年)を適用するのは難しいらしい。
 危険運転致死傷罪の構成要件の一つに無免許運転があるが、無免許であっても運転技能を有しているとあたらない。少年は長時間運転していたため、技能があったとみなされる可能性が高い。また、危険運転致死傷罪は故意を認定しなければならないが、居眠り運転では過失にしかならない。
 
 亀岡の事件に比べ、札幌の事件は警察官が軽傷を負っただけであるが、未必の故意が認められるのは明らかで、殺人未遂罪(上限死刑、未遂減免なし)が適用されるのは確実だ。
 
 どちらも未成年の起こした事件で成人の場合と違うため、実際の裁判がどの様な経過を辿り、どの様な結果になるか分からないが、どちらも刑事処分が科せられる可能性が大きいと思う。結果の重大性では亀岡の事件の方が、犯行の悪質性では札幌の事件方が大きい。どちらがより重い刑罰を課せられるであろうか。どちらがより重い刑罰を受けるべきであろうか。

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車で警官400メートル引きずり…無免許の17歳逮捕
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/04/24/kiji/K20120424003114760.html

職質の警察官 400メートル引きずられる…
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/04/22/kiji/K20120422003103700.html

亀岡の事件のDQNを特定するスレ まとめWiki
http://www33.atwiki.jp/kameoka/
 

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遭難した中国人が救出した海保を訴える

2012/04/23 05:34

 

 よもぎねこ♪さんのブログ(中国人を助けてはイケナイ)で、海保に救出された中国人が国家賠償請求訴訟を起こした記事を取り上げていました。元記事は次の通りです。

************************************************
救助でヨット損傷と提訴[2012年4月16日20時27分]
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120416-935155.html
 ヨットで世界一周航海中に横浜海上保安部に救助された男性が「救助作業でヨットのマストが損傷した」として、国に約760万円の損害賠償を求める訴訟を16日までに起こしたことが分かった。男性側代理人の弁護士によると、同日開かれた第1回口頭弁論で、国は請求棄却を求めた。
 訴状によると、男性は2009年10月、中国を出発。翌年10月、東京・八丈島の南約200キロを航海中にエンジントラブルで救助されたが、えい航作業中にヨットと海保の船が風や波の影響で近づき衝突。マストが折れるなどした。
 男性側は、船が風にされたならば、作業を中断すべきで、損傷したのは海保の過失だ、などと主張している。
************************************************

 ブログやブログのリンク先などを読むと、疑問に思う事が多々出てきました。勝ち目のない裁判を何故始めたのかということは勿論のこと、エンジントラブルで救助された筈なのに人民網日本語版では動力機関なしのヨットと紹介されていたり、1年以上前に世界一周航海のために大阪を出発しているのに、まだ、日本近海を航行したりしています。
 それで、一寸調べてみると、本人のブログを見つけました。
 
劉俊成“好友”号■球航海(■は王に不)
http://blog.sina.com.cn/liujuncheng2009sailing
 
 このブログには本人が書いた文章は無く、出港から遭難までの間に取り上げられた記事を載せているだけです。しかし、何があったのかはある程度知ることが出来ました。
 記事は主に中国語なので機械翻訳を用いました。そのため正確さに難がありますが、ブログの内容に補足を加え、まとめてみました。
 
◆ヨット
ヤマハ34EX
全長10.3m/全幅3.5m/喫水1.97m/船体重量4,830kg/バラスト1,600kg/セイル面積52.82
定員平水12名/沿岸10名/遠洋8名  
清水タンク190L/燃料タンク90L
エンジン・ヤンマー3GM・連続最大馬力24PS/機走速度7knotL

 

 1990年製の中古船を520万円で購入。通信機器は衛星電話だけの模様。船名の「好友」は「親友」という意味。
 
◆単独世界一周航海計画
中国丹東市→黄海→東シナ海→南シナ海→太平洋→パナマ運河→大西洋→南アフリカ(喜望峰)→インド洋→中国丹東市
 約3万6千海里、航海日数3年を予定。航海後は丹東市に「好友」号を寄贈。
 
◆劉俊成の経歴
 1954年に中国の寧省丹東市に生まれる。寧外国語専門学校(現在の大連外国語大学)日本語学科卒業。1972年に卒業すると、国家の貿易部門に配属される。後に商務代表として日本に派遣。1990年、友人と貿易会社を設立。2003年に船舶免許取得。
 大阪在住、妻子有り。妻は日本人、子供は北京在住。
 
◆動機
 鴨緑江で遊んでいた幼少の頃、「鴨緑江に沿って西へずっと歩き続けると元の地点に戻る」と言われたことが心に残っていて、後に地球が丸いためだと知る。以後、機会があれば、世界一周をしたいと胸に抱く。
 仕事が成功して資金が溜まると、子供の頃の思い出した。多忙の中、60歳に出発するために準備を進めていたが、糖尿病を患う。病気ために出港できなくなることを恐れ、予定より早く旅立つことを決心した。
 
◆経過 
●2009年08月08日
 世界一周航海のために大阪府の田尻港を出発し、中国に向かう。
 
●2009年09月04日
 福岡の小戸ヨットハーバーに滞在。自動操舵装置の改良をする。
●2009年10月26日
 出発地点の中国遼寧省丹東市では100人以上の楽団による出港式が行われ、市長を始め、多数の市民に見送られて、単独世界一周航海に出発。
 
●2009年10月29日
 エンジンが短時間しか起動しなくなる。原因はスクリューに魚網が巻き付いたこと。潜って、魚網を切り離そうとするが自力では無理だった。
●2009年11月**日
 強風により、前帆と主帆の2枚とも破損させる。予備の帆が1枚あったので、それに張り替える。
●2009年11月06日
 予備の帆も破れ、帆走も出来なくなり、漂流する。
●2009年11月08日
 遼寧省の遠洋漁業船65040号に発見され、山東省栄成市の石島港に曳航される。
●2009年11月**日
 帆のほか、船上のガードパイプとマストのボルトが損傷しているのが分かり、ガソリンパイプが詰まっていることも判明する。パイプ詰まりを直し、ダイバーがスクリューに巻き付いた魚網を切り離す。
●2009年11月14日頃
 栄成市を出発。エンジンで自走し、青島オリンピック・ヨットセンターに向かう。
●2009年11月15日頃
 青島オリンピック・ヨットセンターに到着。
●2009年11月**日
 米国から帆の原材料を取り寄せ、前帆と主帆を2枚ずつ作らせる。マストのボルトも取り替える。
●2009年11月25日
 青島オリンピック・ヨットセンターを出港。
●2009年11月**日
 衛星電話が故障し、取り替えたボルトの不具合でマストに問題発生。
●2009年12月01日
 韓国済州島に到着。マストを応急修理する。
●2009年12月03日
 済州島を出発。
●2009年12月11日
 福岡の小戸ヨットハーバーに到着。スタッフに「この航海も普通だったら、ここで止めてもいいんですけど、大出港式が行なわれて、止まれなくなりました」と話す。
●2009年12月12日
 松山に向け、小戸ヨットハーバーを出港。
●2009年12月**日
 航行灯が壊れる。松山あたりでエンジンに不調をきたし、操縦困難になる。
●2009年12月17日
 未明に姫路に到着するも、暗くて座礁させる。船舶修理会社を呼んで、引っ張り出し、港に接岸させる。
●2009年12月18日
 大阪の自宅に戻る。
●2010年**月**日
 座礁により船が破損したため、再び中古船を購入するつもりでいたが、船舶修理会社の「徹底的に修繕した方が安全」との助言を受け入れ、ヨットを修理に出す。世界一周航海を継続する準備も開始し、改めて航海の知識を学ぶ。
●2010年10月21日
 姫路市木場ヨットセンターを出港し、世界一周航海を再開。
●2010年10月22日
 和歌山の港を出発。
●2010年10月30日
 八丈島南方で台風に遭遇。航行不能になり、衛星電話で友人に連絡。友人が海保に救助申請。
●2010年10月31日
 海保の巡視船が八丈島南方約150キロの海上で発見、救助。
 
●2012年4月16日
 マスト損傷の弁償代760万円を求め提訴。

 

 

 丹東市から姫路市までの航海の間に数々のトラブルを起こし、座礁までさせ、再出発したら台風に対処できず遭難。海が穏やかな場合は操船できるのかもしれませんが、天候が荒れるとお手上げになるようです。外洋を航海するには明らかに技術不足で準備不足です。それなのに何故世界一周をしようとしたのでしょうか。子供の頃の夢が世界一周だったというなら、豪華客船で世界一周クルージングでもしたらよかったのです。
 動機を子供の頃の夢としていますが、後付けの理由なのではないでしょうか。仕事が成功し、金銭欲も満たされたため、名誉欲が出てきたというのが本当の理由では。だから、中国人が成し遂げていないヨットによる世界一周を安易に実行しようとしたのではないでしょうか。名誉欲が満たされるのならば、ヨットでなくともよかったのでしょうが、見栄で始めたヨットに縁があったため、ヨットによる世界一周を思いついただけだと思います。そうでなければ、海を舐め過ぎた態度が理解できません。
 
 丹東市から福岡までの航海で劉俊成氏も海を舐め過ぎていたことを自覚したのでしょう。福岡で「止めたくとも、事が大きくなって止められない」という意味のことを語っています。命が危険にさらされ、考えが安易だったと自覚したにも拘わらず、それでも1年あまりで再出発したのは中国人特有の面子を保つということに拘ったためでしょうか。
 しかし、八丈島沖で遭難し、流石に世界一周は無理だと悟ったことと思います。再々出発しても、また遭難するのは本人も容易に想像したことでしょう。それは分かってはいても、中国の隣国の日本からも抜け出せずに中止したのでは面子が立ちません。故郷の人々から盛大に見送られ、ハワイミャンマーインドネシアなどの華人メディアでも報道されているのですから、尚更です。そこで、中止の理由に考えたのが日本政府を訴えることだったのではないでしょうか。「日本政府相手に戦うことに時間を費やさなければならなくなったため、やむなく世界一周は中止せざる得なくなった」と言い訳をすれば面子は保てると考えたと理解したら、勝ち目の無い裁判を始めたのも納得できます。
 
 それにしても、520万円で購入した中古船の損傷に対して760万円の損害賠償を求めるなんて、どこまで厚顔なのでしょうか。

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北朝鮮弾道ミサイル発射対応の考察 ニュース記事に関連したブログ

2012/04/18 06:00

 

 政府が北朝鮮の弾道ミサイル発射に関して取った危機管理対応を自ら検証するという。
 弾道ミサイルが短時間で墜落するという想定外の事が起き、自衛隊のレーダーで捉えられなかったため、予定通りに運ばず、混乱が生じ、批判を浴びたからだ。
 
 

 政府の危機管理対応を考える前に、まず、日本政府が実際にとった対応を確認するために弾道ミサイル発射の経過を読売新聞(4/14・17朝刊)や朝鮮日報を参考にして下記表にまとめた。
 
 

 政府は2009年のテポドン2の発射誤報の反省を踏まえ、今回は米軍提供情報と自衛隊レーダー情報を二重チェックをするという対処要領を決めていた。対処要領では防衛省が米軍提供情報を受け、自衛隊レーダーで確認してから、官邸危機管理センター対策室に報告し、対策室がJアラートで各自治体に連絡する予定で、政府の公式発表は藤村官房長官に一本化されていた。
 
 

 事実経過を見ると、各入手情報を総合的に分析して弾道ミサイル発射と判断した後に対策室へ報告するのではなく、実際には入手情報をその都度、対策室へ報告されていた。防衛省が情報を抱え込む体制ではなかったようだ。
 混乱が生じたのは防衛省が発射された飛翔体の正体の確認に手間取ったことと対策室が得られた情報を適切に処理できなかったことが原因と思われる。
 防衛省は発射された飛翔体が弾道ミサイル(銀河3号)なのか、他のミサイルなのか判断できず、発射されてから46分後の8時25分に弾道ミサイルと最終判断した。この時までに防衛省が得ていた情報は米軍情報(SEWと米軍イージス艦)のみで、自衛隊レーダー情報は無かった。結局、防衛省は米軍情報だけで決断するしかなかったのだ。米軍のリアルタイム情報は7時48分までで終わっており、最終判断したのが8時25分。決断するまでに37分間も掛かっている。ただし、PAC3部隊はすぐさま、信号弾を打ち上げ、警戒態勢をとっているので、迎撃体制は速やかに整ったようである。
 対策室は防衛省の弾道ミサイル発射判断にこだわり過ぎ、Jアラートで発射情報を伝達する目的が国民に早く知らせ、避難させるということを忘れてしまっている感がある。避難させるということを優先するならば、正体不明な飛翔体が発射されたと早々に公表してしかるべきであった。特に、8時3分の報道が誤報であるかのような発表は不誠実で、混乱を助長させる行為でしかなく、問題だ。全体として、事前の取り決めに縛られ、想定外の出来事に柔軟に対処できていない。

 

 そもそも、米軍提供情報と自衛隊レーダー情報を二重チェックをするという対処方針が正しかったのか。
 ノドンやテポドン2の例から予想すれば、発射から日本に到達するまでの時間は7分余りである。避難する時間は元々少ない。

 発射から4分後、弾道ミサイルが高度151km(今回の最高高度)に達しても自衛隊のレーダーはキャッチできなかった。想定通りに弾道ミサイルが飛んでいたら、何分後に捉えることが出来たのであろうか。今回、2分15秒後に爆発が起きている事から考えると、3分はかかるのではないか。とりあえず、3分と仮定して進める。
 防衛省が弾道ミサイルのロストを認知してから、田中防衛相に報告するのに2分かかっているため、自衛隊レーダーがキャッチしてから防衛省が対策室に報告するまでの時間も2分かかると推測する。防衛省が判断に手間取れば、もっと時間がかかるが、速やかに行われるものとして2分とする。
 防衛省の報告を受けてから、対策室がJアラートの発信を決断して放送されるまでの所要時間は1分位はかかるだろう。
 ここまでで、6分が経過している。避難時間は1分しかない。情報の伝達過程で決断が少しでも遅れると避難時間は無くなっていた。
 日本に弾道ミサイルが落下する可能性は非常に低かったが、心配するように日本に落ちていたら、放送と同時に弾道ミサイルが着弾する事態にもなっていた。
 
 2009年のテポドン2の発射誤報は千葉のレーダーが誤探知し、その情報のみで発射と判断したところに問題があった。今回は早期警戒衛星のみならず、米軍イージス艦の情報も得ていた訳だから、態々、自衛隊レーダー情報に固執する必要は無かったのではないか。固執したため、国民に速報するということが疎かになった。
 民主党政権は風評被害を恐れるあまりに、大事な目的を忘れる傾向にあるように見える。

/////////////////////////////////
WORKING PAPER 12. 「『専守防衛』策と日本の安全-自衛を全うすることが可能か-」
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00750/contents/0005.htm
北朝鮮のミサイル基地から日本にノドンを発射すれば、7分前後で日本に着弾する。このノドンは液体燃料だが、貯蔵可能な液体燃料である。

北朝鮮発射のテポドンー2(人工衛星?”光明星2号”)の分析
http://homepage3.nifty.com/kubota01/taepodong-2_3.html
① 発射時刻:5日午前 11:30 ごろ(日本政府が米早期警戒衛星の情報などから公表)
② 日本列島通過時刻:発射から7分後
③ 日本列島通過高度:300~400[km]
 

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巌流島の決闘400周年 ニュース記事に関連したブログ

2012/04/13 23:59

 

 丁度400年前の今日、巌流島の決闘があったとされています。
 慶長17年(1612年)4月13日、関門海峡の巌流島(正式名称は船島)で宮本武蔵と佐々木小次郎が一対一の果し合いをし、武蔵が勝ち、小次郎が絶命しました。
 
 映画やドラマ等では遅れてやって来た武蔵に苛立った小次郎が刀を抜き、鞘を捨てた時、「小次郎、破れたり」と武蔵が発し、櫂から削り出した木刀で小次郎の頭をかち割るというストーリーが定番で、武蔵は荒々しい侍、小次郎は美青年として描かれています。
 この様なイメージは吉川英治の「宮本武蔵」によって作られたらしく、吉川英治の小説以前に作られた講談や浮世絵では小次郎を老人としていたようです。
 
 佐々木小次郎については生年や出自が不明で、姓も「佐々木」としたり、「津田」とされたりしています。「巌流」(岩、岸、岸柳、岩龍など様々な表記あり)剣術の創始者で小倉藩剣術師範をしていたのは確かですが、謎の多い人物のようです。
 巌流島の決闘に関する資料は武蔵の著した「五輪書」(1645年)、武蔵養子で小笠原藩家老職の宮本伊織によって建立された手向山の「新免武蔵玄信二天居士碑」(1654年)、細川家家臣の沼田氏が編集した「沼田家記」(1672年)、肥後藩士で二天一流兵法師範の豊田左近右衛門景英が著した「二天記」(1776年)などがあり、内容がそれぞれ異なっています。そのため、現在では諸説が入り乱れている模様です。
 「新免武蔵玄信二天居士碑」には武蔵と小次郎が同時に島に渡ったと刻まれていて、武蔵は遅刻をしていなかったことになっています。また、「沼田家記」では決闘で小次郎は敗北したが、死んではおらず、武蔵の弟子らに殺されたとあります。後世に語られているイメージとは随分かけ離れていますね。その原因を作ったのが「二天記」で、創作が多く史料価値は低かったのですが、読み易かった為、江戸期に武蔵の伝記として普及したようです。明治にはこの「二天記」を用いて、宮本武蔵遺蹟顕彰会が「宮本武蔵」(顕彰会本)を編纂しています。
 
 吉川英治の「宮本武蔵」はこの「顕彰会本」を元に創作され、実在の人物ではないお通も登場します。今ではお通も当たり前のようにドラマ等に出てくるので、架空の人物とは思っていない人も多いのではないでしょうか。
 創作に創作を重ね、史実からどんどん懸け離れ、イメージだけが肥大し、それが史実と受け止められて行く様子は坂本竜馬に似てますね。坂本竜馬も小説を元にした話が史実と受け止められたりしています。
 歴史的ヒーローは作られてヒーローになって行くものなのでしょうね。

/////////////////////////
巌流島の戦い
http://www.ysn21.jp/furusato/know/03history/history08.html
巌流 考証 巌流佐々木小次郎
http://homepage3.nifty.com/ganryu/index.htm
「日子の島」巌流島
http://www.hikoshima.com/ganryu/index.htm
「巌流島(舟島)の決闘」 慶長17年(1612年)
http://www.ne.jp/asahi/system/color/kenjyutuiaijyutu_enmei_p12.html
 

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鳩がサギ(鷺)にあったとイカル(斑鳩) ニュース記事に関連したブログ

2012/04/13 03:57

 

 

 アハマディネジャド大統領との会談時に、IAEA批判をしたとイランの国営テレビに報じられた件で、鳩山由紀夫は「完全に作られた捏造記事であり、大変遺憾に思っている。こういう発言はしていないことを先方に伝えたい」だとイランに抗議し、発言の削除と謝罪をさせた。だだし、イラン側は発言削除の理由を「発言は事実だが、日本との間で緊張を引き起こしたため」としている。
 鳩山は完全な捏造と憤っていたが、「核保有国を対象としないで非保有国の平和利用に対し査察を行うというのは公平ではないと承知しているが、日本は国際社会の懸念を払う努力を、原子力平和利用は国民の活動に有益との信念から進めてきた。」、「NPTに入らないで核保有国になっている国にとって有利になっていることは承知しているが、非核の世界をつくるためにも国際社会との協力が必要だ」と言ったことを認めている。完全な捏造というのは言いすぎだろう。鳩山としては「核兵器のない世界の実現に向けお互い努力すること」が発言の趣旨で、IAEA批判が目的ではないと言いたいのであろうが、IAEA批判と受け止められる発言をしたのは間違いない。相手に迎合するという鳩山の性格が余計な発言をさせてしまったのだろう。
 この様に自分の発言が曲解されたと大騒ぎする一方で、鳩山は「核兵器のない世界をつくりたいと強く申し上げ、イランアフマディネジャド大統領はじっくり耳を傾けた。言葉は通じた。先方からも機微なよい話をしてもらった」と語り、「非常に行ってよかった」と結論付けている。捏造されたとの主張と話が通じたとする認識は、常人には矛盾としか受け止められないが、本人は何の矛盾も感じてないようである。相手の話を自分に都合よく理解するという性格のなせる業か。
 
 鳩山は与野党の反対を押し切ってイラン訪問を強行したが、イランの要人との会談はどの様な経緯で決まったのであろうか。鳩山はその経緯を公式サイトで「総理在任時・退任後にも書簡でのやりとりを行ってきたイラン政府首脳に働きかけを行うこととなった次第です。」と書いてはいるが、本当とは思えない。鳩山が過去にイランについて言及したことがあっただろうか。記憶に無い。イランと鳩山の間に特別な接点があったとは思えないし、ましてや、鳩山からイランに働きかけたとは思えない。この人は自分で考えず、他人の意見をそのまま受け入れて行動するのが一つのパターンだからだ。事実はイランに接点がある人物が鳩山を担ぎ出したと考えるのが順当だろう。その人物とはイラン訪問に同行した民主党参議院議員の大野元裕と考える。大野は元外交官で中東畑を歩んできた人物だ。中東で問題が起きた時にテレビ出演するコメンテーターと言った方が通りがいいかもしれない。
 
 大野はブログで、対イラン武力行使等の最悪の事態となれば、日本の石油の確保や油価のみならず、アジア経済へも極めて大きく影響し、中東全体の不安定化にも繋がると説明、我が国にとって最大の課題は武力紛争を起こさせないことだと説いている。更に、国際社会が一致してイランに厳しい態度で臨む中、現在の状況下で政府が取り得る選択肢は少ないため、議員外交が必要との認識を示し、具体的な議員外交の意義について書いている。
① 元総理が行かれると言うことは、イランとしても相応の高いレベルの要人と話をさせると言うことを意味する。孤立化するイランに国際社会の声を正確に届けることが最も重要であると考える。
② 議員外交で、これだけ大変になっているイラン情勢が一気に好転することはあり得ない。しかしながら、国際的な枠組みに協調することがイランの利益にかなうところ、具体的な一歩を踏み出すよう促すべきと考えている。
イランと日本の伝統的な友好関係を想起させ、しかるべく後の二国間関係増進の礎とする。
④ 元総理がイランを訪問するというインパクトはあるはずで、イラン国民に「イランは忘れられているわけではない。先鋭化する必要はない」とのメッセージとする。もちろん、それがイランに必要以上に迎合的になり誤ったメッセージとなってはならないことは当然である。
⑤ 「撃たせてはならない」立場にある我が国の利益に鑑み、イラン問題の解決に少しでも資する様な環境整備につなげる。そのためには、イスラエルに対する働きかけも引き続き行う必要があろう。
 
 大野は「鳩山代議士のイラン訪問に同行することになった。」、「鳩山さんの訪問を可能な形で支援したいと考えている。」とサポートのために参加することになったかのようなことを書いているが、上記の議員外交の意義からはそう受け取れない。鳩山のイラン訪問を大野が主導したと告白しているようなものだ。
 ただ、大野が自分で会談を発案してセッティングしたかというと違うかもしれない。個人的な訪問にも拘わらず、駐イラン大使が会談に同席しているからだ。外務省の中東関係部署が組織的に関与していた可能性を伺わせる。
 大野、外務省のどちらがイラン訪問を発案したのかは分からないが、どちらにせよ動機はアメリカのイラン原油禁輸措置に抗いきれず、原油輸入を削減せざる得なくなったため、イランとの関係悪化を和らげようとしたのだろう。中国が制裁に反対し、結び付きを強くしていることから、資源外交の観点からも関係悪化を少しでも避けることが国益になると判断していたのだろう。欧米と歩調を合わせながらも、欧米とは違うとイランに思わせるためには議員外交という手段が最適と考えたのかもしれない。ただ、鳩山のパーソナリティを十分理解していなかったのが誤算だったか。


 イランを訪問する前の4月6日に鳩山と大野はネット上に文章をアップしている。内容は似通っていて、中でも類似性の高い一節があるので書き出す。
●大野ブログ(午前0時20分)
「我が国は歴史的にイランと良好な関係、少なくとも対話のチャンネルは維持してきたが、最近ではイランとの対話の窓口は途切れがちで、中東における我が国のプレゼンスも弱まりつつある。」
●鳩山サイト(午後10時)
「我が国は歴史的にイランと良好な関係、少なくとも対話のチャンネルは維持してきましたが、最近ではイランとの対話の窓口は途切れがちで、中東における我が国のプレゼンスも弱まりつつあります。」
 「である調」を「ですます調」に変えただけだ。偶然の一致ではありえない。書き込まれた時間から大野が鳩山サイトの文章を書いたと思われる。
 
 また、鳩山は帰国後の弁明で「機微なよい話」という意味不明な言葉を使っている。大野ブログを調べてみると、やはり弁明で「機微な状況」という言葉を使っていた。「微妙な」とか「機微にわたる」という言葉を使うのが一般的だと思うのだが、大野は「機微な」を使うのが癖のようだ。大野が鳩山の弁明の下書きをしたから「機微なよい話」なんていう奇妙な言葉が出てきたのだろう。
 
 これらのことからも、イラン訪問が鳩山の思い付きではなく、大野の主導によって行われたことが伺われる。

 鳩山は鳩では無く、鵜だったのか。


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IAEAは不公平」=鳩山氏発言として紹介-イランTV
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012040900045
民主・鳩山氏、イラン大使館に抗議
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012041000569
イラン側、鳩山氏発言を削除 ただ「発言は事実」
http://www.asahi.com/politics/update/0410/TKY201204100582.html
鳩山由紀夫元首相帰国会見「作られた捏造記事」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120409/plc12040923590007-n1.htm
鳩山氏が反論「非常に行ってよかった」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/555686/
鳩山由紀夫公式サイト
http://www.hatoyama.gr.jp/
http://www.hatoyama.gr.jp/report/detail.php?id=9
大野もとひろ公式サイト
http://www.oonomotohiro.jp/index.html
http://ameblo.jp/oonomotohiro/

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